「山形藝術界隈前史」第五回:是恒さくら

山形藝術界隈メンバーによる「山形藝術界隈前史」の連載第五回は、是恒さくらによる前史です。(構成・文:是恒さくら)

「山形藝術界隈前史」初回:後藤拓朗
「山形藝術界隈前史」第二回:大槌秀樹
「山形藝術界隈前史」第三回:根本裕子
「山形藝術界隈前史」第四回:久松知子
「山形藝術界隈前史」第五回:是恒さくら

【「山形藝術界隈」との出会い】

「山形藝術界隈」が「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2016」のプログラムだった「市プロジェクト」の「アートの市 芸術界隈」から派生した経緯は、これまでのメンバーの前史で語られている通りです。私は2015年に広島県から山形県に移住、山形ビエンナーレ2016開催時は東北芸術工科大学大学院の地域デザイン研究領域に在籍していました。「山形ビエンナーレ2014」を見て、市民を巻き込んだ芸術祭のプログラム作りや山形の歴史・民俗文化と芸術活動を結びつける取り組みに関心を持ったことから、同大学院への進学を決めました。

市プロジェクトと芸術界隈には美術家としてではなく、山形ビエンナーレ2016のアシスタントキュレーターとして関わりました。当時、私を含めて3人のアシスタントキュレーターがいて、それぞれ複数のプロジェクトや会場の企画運営に携わっており、私は芸術界隈の「KUGURU」(注:山形市七日町・とんがりビル内のギャラリー)ブースを担当しました。山形ゆかりのアーティスト2名の作品を売買するマネージャーのような立場でしたが、その傍らで自作のリトルプレスを売り、ミサワクラスのブースの「MOLE GALLERY」に作品を置かせてもらっていました。

【山形ビエンナーレの「市プロジェクト」で得たもの】

文化庁の「大学における文化芸術推進事業」の支援による市プロジェクトでは、山形・東北在住のクリエイターらに参加が呼びかけられ、2016年は5つの市が立ち上がりました。2017年はいくつかの市を残して新たな編成となりましたが、そこに芸術界隈は含まれておらず、私は新たに発足した「こどもとデザインの市」のサブファシリテーターを務めました。こうして2年間、運営側に近い立場で市プロジェクトに関わりました。

私は市プロジェクトが目指していた〈ものづくりの地産地消の仕組みづくりの実践〉に共感していました。それは美術館施設やギャラリーの存在感の希薄な地方都市においても芸術・アート・多様な表現が日常的に交換されていく文化を育むことであるし、クリエイターが地方都市で自活できる土壌を築くことでもある。また、この理想を実現するのはとても時間のかかる仕事になる、とも感じていました。文化は1年、2年の短いスパンで変わるものではないから、時間をかけて取り組まなければ根付かないだろう、と。

市プロジェクトから派生した山形藝術界隈の動きに興味を持ったのは、芸術界隈の活動が1年目で止まった後も山形藝術界隈はさまざまな人と関わりながら有機的に動き続けていたからです。発表の機会や場所が用意されるのを待っているのではなく、自分たちの表現を実現するため活動の場を広げていく、活動できる仕組みを作っていく。誰かの呼びかけや企画にアイデアを出しあい、興味のあることを共有して刺激しあっていく。山形藝術界隈の中でユニットやコラボが生まれる。大きなプロジェクトに乗っかるのではなく、日常的にやりとりできる関係性だからこそ持続する。「市プロジェクト」の功績は、同じ地域で生活していながら接点がなかったクリエイター同士を出会わせ、新たなネットワークを生み出したことだと思っています。

【石巻で活動すること】

今年から美術家として山形藝術界隈に参加していますが、参加を決めたのは山形藝術界隈が石巻に活動を広げたから、というのも大きな理由です。私は2015年から捕鯨文化のフィールドワークのためたびたび石巻、特に牡鹿半島エリアに通い、鯨にまつわる物語の採話集としてリトルプレス『ありふれたくじら』を発行、これまで東京や横浜で作品発表も行ってきましたが、自分の表現を石巻で広く紹介できていない、この土地から得たものをこの土地に還せていない、というジレンマがありました。美術家として、石巻にどう関われるのかということに向き合いたいと考えていました。

私は、芸術(アート)は日常の延長線上にあるものと考えています。暮らしの数だけ芸術があって、土地ごとの美意識がある、と。3年前から東北の沿岸部を訪ねていますが、石巻もこの3年でずいぶんと変わったと思います。「東日本大震災」を契機につくりだされたもの、表出したもの、表現されたものは数えきれない一方で、震災から何年も後に石巻を訪ねた私は、震災以前からあるもの、震災を経て形を変えたとしてもつくり続けられ、この土地で観賞され続けるものの〈美〉を知りたいと思いました。

牡鹿半島のある浜で、人気のない漁港で灰色の空と海を見ていて、はっと目をひくものがありました。漁船が掲げる「大漁旗」でした。新しい船の門出に送るものであり、大漁に恵まれた漁船は大漁旗を掲げて帰港します。石巻に限らず、大漁旗は各地の漁港で見かけます。漁業と染物の関係は古く、かつて南は静岡〜北は青森まで、太平洋沿岸の漁民のあいだには「万祝」という着物を大漁の祝いに贈る風習がありました。魚や鯨、鶴や亀を絵柄にした、鮮やかで美しい着物です。漁獲に感謝を捧げる芸能に使われた衣装であり、網元から漁師への「褒美」であり、その出来事を覚えておくための絵のようでもあります。現代の大漁旗の絵柄も万祝の意匠から来ているともいわれます。東日本大震災時、たくさんの船が壊れましたが、その後つくり直されたたくさんの船にも、大漁旗が贈られたそうです。大漁旗は非日常をはさんで、震災以前と以後の日常をつないでいるような気がしました。

石巻で私が出会った人たちは大漁旗を「芸術」とは呼びません。芸術と呼ぶにはあまりに身近なのだと思います。芸術はそれくらい、日常から離れた言葉でもあるのでしょう。私は大漁旗を「芸術」として見たいと思い、それは山形藝術界隈と活動すること、石巻のキワマリ荘に関わることと近いものがあります。日常の延長線上にあるものとしての芸術は、外から持ち込まれる異質なものでなく、内にあったものの美をどれだけ表出させられるか、ということでもあると思うのです。

石巻には、大漁旗や神社の幟、獅子幕を作り続けている「山田染工場」があります。江戸時代から石巻で続く工場で、旦那さんが染め、奥さんが縫製を担う小さな工場です。「年間山形藝術界隈展」の〇七展は、私と久松知子さんとの二人展として、「芸術(アート)と日常の関わり」をテーマとしました。私は石巻の日常風景である大漁旗文化と山形藝術界隈との融合点を模索しようと、山田染工場さんとの対話と「藝術の旗」の共同制作に取り組んでいます。

「山形藝術界隈前史」初回:後藤拓朗
「山形藝術界隈前史」第二回:大槌秀樹
「山形藝術界隈前史」第三回:根本裕子
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