「山形藝術界隈前史」第四回:久松知子

山形藝術界隈メンバーによる「山形藝術界隈前史」の連載第四回は、久松知子による前史です。(構成・文:久松知子 構成協力:halken LLP)

「山形藝術界隈前史」初回:後藤拓朗
「山形藝術界隈前史」第二回:大槌秀樹
「山形藝術界隈前史」第三回:根本裕子
「山形藝術界隈前史」第四回:久松知子
「山形藝術界隈前史」第五回:是恒さくら

【はじめに】

美術家・有馬かおるさんとのご縁から、アートスペース「石巻のキワマリ荘」で、山形藝術界隈(以下:界隈)のメンバーが一年間展覧会を運営する「年間山形藝術界隈展(石巻のキワマリ荘プロジェクト)」が始まった。
このテキストでは、わたしの視点からの界隈との出会いとこれから石巻のキワマリ荘でどうしていくかの起点について記す。

【アートの市 芸術界隈】

私たちが集まったきっかけは、2016年に山形市で開催された「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2016」(以下:ビエンナーレ)の一環で企画されたプロジェクト「アートの市 芸術界隈」(以下:市プロジェクト)だ。これは、芸術祭会期中の毎週日曜に、市内中心部の七日町御殿堰という芝生広場を会場に、絵画や陶芸作品などの美術作品を野外マルシェのようなスタイルで販売を試みた事業である。
私はこのプロジェクトに、当時所属していた共同アトリエ「工房 森の月かげ」のメンバーとして参加した。作品を売るためにいろいろな工夫をしてみてはいたが、ふと隣のシェアアパート「ミサワクラス」(以下:ミサワ)のブースを見ると、売り上げが多いわけではないが、他とは違う動き方でプロジェクトを盛り上げているように見える。彼らは何をやっていたのか?
ミサワのブースは、後藤拓朗さん、大槌秀樹さん、白丸たくトさんの3人組。彼らはあらかじめ与えられていた展示ブースの上に、単管パイプで独自のステージを製作。その見晴らしの良い高台で、音楽家の白丸さんの弾き語りライブをしたり、大槌さんの拡声器を用いたパフォーマンス「代行演説」を行ったり…。後藤さんは展示ブースに依存する、ダンボール製のホワイトキューブ「MOLE GALLARY」を制作。後藤さんのダンボールギャラリーは、繊細なアートの販売を雨風太陽にさらされる屋外で行うこのプロジェクトに対して、プロジェクトの内側から批判するという態度を示しているように見え興味深かった。音楽や身体を扱う白丸さんや大槌さんのパフォーマンスは、ほかの商品の大半が絵画や陶器といったモノを扱う中で際立ち、観客の視線や場の雰囲気に変化を与えていた。
思いついたアイデアを実験的にどんどん試していく彼らの態度を見て、私も仲間に入れて欲しいと思うようになった。単管パイプで立てられたステージで、私は市プロジェクトの参加者たちにインタビューを行う「芸術界隈ラジオ ひさまつ子の美術の部屋」(長いタイトル…)をやってみた。
芸術祭が終わってすぐに、私は彼らのアジトであるミサワに引っ越すことに決めた。

【ミサワクラス】

2016年11月、私はミサワに入居した。ここは、山形市内でも最も中心部に位置している、かつての旅館をリノベーションした居住空間だ。
引っ越しの動機は、市プロジェクトでのミサワの3人が魅力的だったのもあるが、これまでの共同アトリエでの制作と、郊外での一人暮らしに行き詰まりも感じていたこともあり、環境の変化を求めてのことだった。
ミサワに来てからは、市プロジェクトで仲良くなった近所のアーティストたちで集まって夜な夜な密会(飲み会)が行われた。そこで話されたことは、芸術祭という誰かが用意してくれた器に乗り続けるのではなく、自分たちの手で「芸術界隈」を続けてみないかということだった。
そうして、2017年2月に有志の集まりで「山形藝術界隈展〇一」をミサワクラスで行った。その展覧会自体は失敗も多く、芸工大の卒展を見に来ていた宮島達男さんに酷評されるという苦い経験もあったが…その後、第4回まで2017年に山形県内を中心に開催する機会に恵まれた。
私はその冬に気になっていたことがある。私自身のやりたかった事として、市プロジェクトで起こったこれらの出来事を記録し、現場に居合わせなかった人に臨場感を伝えたかったのだが、それが困難だったことだ。それは、言葉で説明しても、もう一度「ラジオ」をやってみても、インスタレーションで再現しようとしても、うまくいかず、それを他者に伝えることは難しかった。

【思い出アルバムpainting】

それでも一番可能性がありそうだな、と感じたのは、その出来事についての絵を描くことだった。市プロジェクトのときに撮影した写真をもとに、ミサワクラスのアーティストや、その現場を〈記録画〉として描く。それが、「思い出アルバムpainting」シリーズの始まりだった。携帯やパソコンに記録された写真の画像データは放っておくと埋没していく。これらのイメージは撮りやすく、瞬間的にシェアが可能で、それでいて残りにくいことは周知の事実だ。それに対する絵画は、人間の歴史の中でも最も古い原始的な芸術表現だ。電源に依存することもなく、それそのものの物質性が強い。出来事の追体験と記録の媒体として、自分の一番の武器である絵を使えばいいのではないか?写真を絵画に置き換える。絵画はクオリティさえ担保できれば、物質としても記憶としても残る可能性が高まる。その絵を展示すれば、その出来事について物語る場面も必然的に生まれるのではないか?
ちなみに「年間山形藝術界隈展」では、この作品に、是恒さくらさんによるテキストが加わった二人展を計画している。描かれた物語について語る媒体として彼女の言葉が加えられることに、この作品の進展の予感があって、今からとても楽しみである。

【グループで芸術活動をする】

東北芸術工科大学(以下:芸工大)の学部生の頃から、自分の絵を描くことと、他者と協働してアートの活動をすることを平行して続けている。「東北画は可能か?」(以下:東北画)という美術教育と芸術運動を兼ね備えた芸工大の課外活動に、2011年から2016年頃まで参加してきた。そこでは、合宿しながらの地域での滞在制作や、絵画の共同制作、展覧会の共同キュレーションなどを行った。東北画の生みの親である三瀬夏之介さんは、自作の展開と平行してグループで何か作ることを良しとする人だ。彼の教えは、古今東西の多くのアーティストのように、太く長くその活動を続けるためのパイプを複数持ってサバイブせよということだと思う。私自身は、現在も大学に在籍はしているが、拠点としてそこに依存しつづけることはできない。教育的プロジェクトでもある東北画から離れ始めたタイミングで、野に下りて出会った仲間たちと界隈を作りだしたことは、わたしにとって自然な動きであり、必然性のあることなのだろうと思っている。

【石巻に来ることについて】

2017年の暮れから有馬かおるさんとのご縁で石巻に通うことになった。有馬さんは2017年にReborn-Art Festival(以下:RAF)への参加を機に同年この町に移住してきたアーティストである。この町では、その年の夏にフェスが開催され、国内外の現代美術作品の展示が行われた。RAFは、2011年に大津波の被害を受けた地域の復興の過程で、その6年目にアートを運び込んだ。その7年目に、私自身はこの町で展覧会を行うために通うことになった。
石巻に来ると、わたしは2014年に同級生が卒業制作で描いた日和山から町を一望した風景画のことを思い出す。彼女は震災後すぐにこの町にボランティアに来て、卒業するまで災害復興支援に情熱を傾けていたようだった。
片や、わたしは、震災直後に被災地に行ったり、直接的なボランティア活動をすることができなかった。震災直後のわたしは、絵を描くことを中心にしかなかなか体が動かなかった。そんなタイミングで「東北画」のメーリングリストからメールが届いた。震災前から制作予定だった共同制作を集まって描くというので、参加した。そうして同世代の美大生10人ぐらいで集まって、ひとつの大きな方舟の絵を描いた。今振り返ると、この経験は自己治癒としての〈お絵描き〉だった。
震災直後に石巻に来て、人生を変化させていった彼女と、震災のときも絵を描くことを選び、石巻に来る目的も「展覧会をつくるため」である自分を勝手に対比的にとらえてしまう。それも何らかの遠い縁なのだと勝手に考えている。
石巻で仲間たちとこれからどうしようか。有馬さんは、これまで、犬山や水戸での「キワマリ荘」から世界のアートシーンに接続していった人で、「そこに届くまで」のビジョンを、私たちにも伝えようとしてくれる。「石巻のキワマリ荘」で、彼は、アートについて、これから何をどう作るべきかについて多く語っている。わたしたちの、まだ輪郭線も明確ではない芸術運動体が、そのなんらかの輪郭が明確になり、ここから、どこか遠くにそれが届く日が来るように、一年間の企てを営んでいきたいと思う。

2018年4月16日

「山形藝術界隈前史」初回:後藤拓朗
「山形藝術界隈前史」第二回:大槌秀樹
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