「山形藝術界隈前史」第三回:根本裕子

山形藝術界隈メンバーによる「山形藝術界隈前史」の連載第三回は、根本裕子による前史です。(聞き手・構成:halken LLP)

「山形藝術界隈前史」初回:後藤拓朗
「山形藝術界隈前史」第二回:大槌秀樹
「山形藝術界隈前史」第三回:根本裕子
「山形藝術界隈前史」第四回:久松知子
「山形藝術界隈前史」第五回:是恒さくら

東北芸術工科大学(以下:芸工大)の大学院を修了した後、宮本武典さん(芸工大主任学芸員)から山形市の繁華街にあるシェアアパートに何人かで住んでみないかと誘われたのが、今日の山形藝術界隈(以下:界隈)へと繋がるきっかけだったように思います。そこには芸工大建築学科の学生が住んでおり、作家志望の人にも声をかけているとのことで、そこで私の名前が挙がったということのようでした。それが、後のミサワクラス(以下:ミサワ)になっていきます。ちなみに、同級生である大槌秀樹さんもミサワに入居しました。私は、ミサワには2009~2013年までいました。

ミサワでは、共同生活上のルール作りから、社会の事、美術の事をみんなと語り合ったりして生活していました。そんな生活の中から、「三角コーナー」という住民による実験的なweb上ギャラリーが生まれたり、「SANZOKU」という陶器ブランドが立ち上がったりしました。ちなみにSANZOKUは当初、アートユニットとして大槌さんも参加していましたが、現在は族長である私が主宰するブランドになっています。なお、それぞれの制作活動とは別のものとして存在するミサワは、地方や山形のことを考えたりするためのベースとなっていたと今では思います。

2011年の震災を経て、芸工大とミサワの関係が変わり私たちの状況は一変しました。ここから「私たちは語る言葉を持たない」という独自の展覧会がミサワで行なわれましたが、芸工大との関係が一変したのがこの展示の理由でした。その後、2013年にミサワを離れ、自分の窯を持つに至ります。拠点となる場所は、なるべく不動の地が良いので実家がある福島にしました。震災の影響を知る事や、高齢の祖母もいた事も理由として挙げられます。

福島での生活は実家のため、作家ではなく「娘」としての自分です。その為、制作は孤独なものになりがちです。そういうこともあり、山形やミサワの関係を維持したまま、グループ展や芸工大の演習のファシリテーターなどを行なっていました。ミサワで行われた「MOLE革命」展では後藤拓朗さん、芸工大ファシリテーターではhalken LLPの三浦晴子さんと知り合います。

2014年からは、山形ビエンナーレ(以下:ビエンナーレ)にも関わることになります。ここでは絵本作家の荒井良二さんと出会います。2016年のビエンナーレでは、山伏の坂本大三郎さんとの共同制作や、山形の和菓子屋さん(佐藤屋)の菓子器なども制作しました。ビエンナーレのアシスタントキュレーターをしていた是恒さくらさんと知り合ったのもこの年です。

また、2016年のビエンナーレ期間中に開催された「市プロジェクト」の一環で、三瀬夏之介さんが担当する「芸術界隈」というアートの市にも参加しました。これはアート作品を「市」という仕組みで販売するというものです。私はSANZOKUのブースで参加しましたが、芸術界隈のシンボルを作る事になり、山形の市神さまと船がモチーフの芸術界隈の市神を制作しました。参加メンバーの中には、ミサワや知っている顔もありました。ここでは、久松知子さん、halken LLPのアイハラさんと知り合います。ここで、ようやく界隈へと繋がる道筋がみえてきます。

その後、アートの市に参加した作家たちが任意で寄り集まり、ビエンナーレとは離れたかたちで作品展示を行う事になります。
「山形藝術界隈」の始まりです。

今回の石巻のキワマリ荘プロジェクトでは、「山形藝術界隈友の会」(ファンディングプロジェクト)のリターンアイテムとして壺を制作します。そこにはこの界隈に関わる人たちの絵や、パターン、文字が描かれます。壺の共同制作をすることによって界隈の構図が見えてくるのではないでしょうか。個人の作品と共に、その事自体を私のプロジェクトとして考えていきたいと思っています。

「山形藝術界隈前史」初回:後藤拓朗
「山形藝術界隈前史」第二回:大槌秀樹
「山形藝術界隈前史」第三回:根本裕子
「山形藝術界隈前史」第四回:久松知子
「山形藝術界隈前史」第五回:是恒さくら

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